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考える種を蒔く

スタッフブログ | 株式会社それからデザイン sole color design Co., Ltd ホームページ制作、WEBデザインをはじめ、広告制作を行っている「それからデザイン」スタッフによる本音トーク集。

中小企業のブランディングをお引き受けする“5つの条件”

今年もあと残すところ1週間。
クリスマスとは24日なのか、25日なのか、非常に中途半端な雰囲気の25日の朝の電車の白々しい空気感は、けっこう人間臭くて、嫌いじゃないです。

2014年は、多くの新しい出会いに恵まれました。
やはり自分にとってはじめての書籍出版があり、その後、いくつかの雑誌にも掲載していただいたり、それからデザインの活動の中でも、ここまで表に出る活動があった年はなかったので、新鮮な一年だったかな、と。

それからデザインでは、「ブランド戦略型ウェブ制作」をスローガンに掲げており、ウェブ制作を通じて、その企業をブランド化していくことを提案しています。
中小企業のブランディングをお引き受けするにあたり、私はいくつかの決め事を課しています。それを少しご紹介してみたいと思います。生意気な部分も多々あると思いますが、分かりやすくお伝えするため、正直に書いておりますので、そこは何卒ご容赦ください。

(1)その企業、その商品を好きになれるか
私はどんな相談でも引き受けるわけではありません。
ブランディングとは、そもそも、自分自身がその企業、その商品・サービスに共感を持つことから始めます。
「自分だったら、これ欲しくないなぁ」「自分だったら、この会社には頼まないなぁ」と思ったら、企画もアイデアもデザインも何も生まれません。というより、そもそもやる気が湧いてきません。「おー!この会社素敵!」という動機がすべての始まりであり、そこがないままに仕事を受けるとろくな事にならないことも経験してきました(笑)。
ですので、とっても恐縮ですが、すべてのご相談をお引き受けすることはできません。企業ブランディングは、お見合いから。同時に、私の考えや性格などが気に入らない、という方もいらっしゃると思います。ですので、「お見合い」が大切なんです。そこで、「私たち、お付き合いしてみましょうか?」という双方の気持ちの合致が大切だと思っています。

(2)一歩引いて付き合えるかどうか
しかしながら、どっぷりと相思相愛でどろどろの恋愛をするわけにはいかないのです。私はデザイナーとして、ウェブやロゴなどを考える職業人で、依頼主は企業の経営をしたり、PRを担当する職業人です。それぞれにたくさんの仕事を抱えていながら、ブランディングのプロジェクトを進めていく立場になります。
中小企業の経営者には、この感覚が欠落している方が少なからずいらっしゃいます。「自社を特別扱いしてほしい」というコミュニケーションの取り方をしてくる方も多いです。やたらと飲みに誘ってくる方も多いですが、私は漠然としたノミニュケーションよりも、しっかりと準備した会議の方が有効だと考えています。お酒は好きですが(笑)。
お互いを好きになりながらも、ビジネスとしての効率的な関係性を保つための“一定の距離感”は大切だと思っています。
しっかりとお互いの目的を達成した上で、打ち上げでぜひ飲みに行きましょう。

(3)成長意欲があるかどうか
ブランディングは、企業の価値を高めるため、成長させるために行うことです。中小企業の中には、せっかくの素晴らしい特徴を持っていながらも、成長意欲に乏しい会社が多々あります。
競合他社にはないようなコンセプトや技術力を持ちながらも、経営者自身が拡大成長を拒否している場合です。中小企業の中でも、10名以内の零細に近い、小さい会社に多いです。会社をつぶしたくない、受注がほしい、売上を上げたい、とは思っているけど、採用を強化して優秀な社員を増やしたい、という発想にならないケースです。
企業ブランディングは、会社の成長を促進することと切り離せませんので、経営者自身の意欲が欠かせません。

(4)リスクを取ることができるか
ウェブサイトをリニューアルしたい、ウェブからもっと受注を増やしたいと考える経営者は、非常に多くいらっしゃいます。これだけインターネットが普及している世の中ですので、当然でしょう。
しかし、その中で、ウェブというものに「安くできるんでしょ」という感覚を持っている方も、かなり多いという実感があります。もちろん、中小企業には、テレビCMやマスメディアを使った派手な広告を展開するような予算がないので、ウェブに一縷の望みを感じる気持ちもよく理解できます。
しかし、「限られる予算の中で、最大限にウェブを活用してブランディングを進めたい」ということと、「ウェブは安くできるんでしょ」、ということは全く違うので、後者のような感覚の持ち主からのご相談は、お断りしております。
可能性を感じて、多少のリスクを取りながらも勝負できる方と一緒に仕事をしたいと思っています。私たちにとっても、予算の限られた仕事を引き受けることはリスクです。
お互いにリスクを取りながらも、感じる可能性に向かって共に戦えるかどうかを常に見ています。

(5)努力することができるか
企業ブランディングには、時間がかかります。
ウェブを魔法の箱と思っている方が時折いらっしゃいます。公開して3日後に「受注が増えません」という方がいましたが、そういう方ほど、何もかも人任せで努力するという発想がない人です。
ウェブは、他のメディアよりも即時性が高く、成果を急ぐ中小企業向きのブランディングツールではありますが、それでも、「運用努力」は必須です。
経営者自らが発信する努力ができるかどうかは、ブランディングの成否に直結します。
私のできることは、「お膳立て」に過ぎません。それを受けて、市場へ想いを発信し続ける継続性の高い努力ができる会社は、必ずといっていいほど、成果を出しています。


…とまあ、とってもストレートに書いてしまいましたが、そういうことです(笑)。
今年一年、数名の素敵な経営者の方との出会いに恵まれました。感謝、感謝でございます。

今後もより一層の研鑽を積み、信頼していただける仕事をし続けるのみです。
たぶん、今年最後のブログになるかと思いますが、近々このブログもリニューアルして、ブランディングをテーマに定期的な発信をしていきたいと考えております。

みなさま、良いお年をお迎えください!
2014年ありがとうございました。
| 日々の雑談 | - | -

デザインはパソコンの前じゃない、現場で生まれるんだ!

それからデザインが最も大切にしていることは、「直接見て、直接会って、直接話を聞く」ということです。

基本的に弊社では、Webサイト制作において、クライアント様と何度も打ち合わせや取材を重ねて、企画を練り込むことからはじめます。
その分、時間も手間もパワーもかかりますが、クライアントのブランド構築において、外せない大切な工程です。
そんな弊社の活動をWeb Designing 9月号で取り上げて頂いております。
http://book.mynavi.jp/wd/special/sorekaradesign/02.html


デザイナーがクライアントに一度も会わないままに、デザインをつくることなどは、実はこの業界ではよくあることです。なぜなら、Web制作やデザインの業界も御多分にもれず、スピードと効率化と低価格を求められる故、分業化が進み、デザイナーという職種がPCの前に座ってひたすらに作業をする人になってしまうケースがあるからです。

かくいう私も、独立間もない頃は、代理店や制作会社の下請けデザイナーとして、「クライアントの顔を見ないまま、ワイヤーフレームだけを頼りにデザインをする」という仕事をしていたこともあります。
もちろん、間に入ってくれるディレクターがしっかりとコミュニケーションを取れる人なら、その方が専門性を発揮しやすくなる場合もあるでしょう。
しかしながら、これは自分の性格ということでもあるのですが、私の場合は、「クライアントの話を又聞きし、想像しながら仕事をする」ことはストレス以外の何ものでもありませんでした。

私は、デザインという仕事は、クライアントの現在持っている長所と、少し頑張れば手に入る長所を、分かりやすく具現化する仕事だと思っています。
一般的には、上記はアートディレクションの範疇だと思いますが、理想の在り方は、デザイナーがオペレーター化せずに、アートディレクションの能力を兼ね備えることだと思います。
そうすることで、デザイナーとクライアントとの距離も縮まり、より密度の濃い制作が行えるからです。

デザイナーは、他の職業に比べると、長くキャリアを続けることが難しい職種です。「PhotoshopやIllustratorを扱って、デザインを作ることができる」という人材なら、毎年デザイン系の学校を卒業した若い人がどんどん出てきます。
ディレクターの指示通りに、さくさくとページをつくることができるのは、もちろん必要な能力ですが、その仕事はデザイナーではなく、オペレーターというもので、それだけでは長くキャリアを積み上げることが難しいのが現実です。

どうすれば、デザイナーやアートディレクターとしてのキャリアを積めるのか?
それは、クライアントと会って、たくさん話を聞いて、「現場感覚」をどれだけ積むことができるかにかかっていると思います。
そういう仕事に恵まれないのであれば、プライベートな活動などで経験を積むことも大切。たとえば、友達のお店のアートワークや、インディーズ系のミュージシャンのフライヤーやWebなどをやらせてもらうなど。
「直接会ってとことん聞いて、そして依頼者も自分も納得できるものをつくる」ということをたくさんする意外に方法はないと思います。

なぜか最後はキャリアの話になってしまいましたが。
デザインは、いろんな人と出会えて、いろんな人の話が聞けて、とっても楽しい仕事だと思う、という話。
| 日々の雑談 | - | -

フィットできなかった幸運

正解を求めようとする心理や、間違えたくないという心理を
オープンにする人が、けっこういる。
分かりやすく言えば、すぐにハウツーを知ろうとする人、指示されることを好む人など。

私自身は、真逆のタイプで、どんなことでも「やり方」は自分で考えたいと思うし、
指示されることは最も苦手なことのひとつ。
もともと何でも自分で納得しながらやりたいという性格でもあるが、
すぐにハウツーや正解を求めることは、何より「格好悪い」と思っているから。
なので、つべこべ言わずに「はい、わかりました!」ということができず、
若い頃は「新人」という肩書きとうまくフィットできずに苦しんだ。

ところが、30歳を過ぎたあたりから、
クソ生意気だった新人クンは、責任という名のもとの自由を世間から認められはじめ、
少しずつ社会というものに馴染むようになっていった。


私が独立し、それからデザインを立ち上げたのは、2004年。
ちょうど30歳になったころだった。
当時は、まだまだ青春のロスタイムの中で、日々を葛藤していた頃で、
自分の一生の仕事を決めることができず(今も決まっているとは言えないが・・・)、
何かに焦っていて、苛立ってもいた。
すでに一緒に住み始めていた彼女と別れるのか、結婚するのか、の選択も目の前にし、
正直なところ、半ばやぶれかぶれになって、会社を辞め、結婚し、
個人のデザイン事務所として、なんの仕事のあてもない中、
自宅の一室と1台のマッキントッシュだけで、はじめた。

それが、それからデザインの始まり。
20代の頃に描いていたのとは、全く似ても似つかない30代のスタート。
当然理想の暮らしとはいかず、毎日どん底の気分だった。

しかし、人生は分からないもので、
時代もよかったのか、意外にも仕事は少しずつ入ってきた。
自分でも不思議なくらい、私の仕事ぶりが評価してもらえ、
次第に、たくさんの依頼をもらえるようになった。

それから10年経ち、40代に入った今も、基本的には20代のころと
自分の性格や考え方は、何ら変わりはない。
相変わらず、指示を受け従うことは嫌いだし、やり方は自分で考える。
それが、どうも、30代に入ってから、
「あいつは生意気だ」という評価から、「彼は自分で考えて仕事してくれる」
というように周りの見方が変わった。


最近、「会社を立ち上げたいので話を聞かせてほしい」
という系統の相談をいただくことが、時折ある。
残念ながら、私自身は、会社を立ち上げたくて立ち上げたのではなく、
他に手段が見当たらず、やぶれかぶれになって独立し、今に至るので、
そもそも「会社を立ち上げたい」「社長になりたい」という人に
偉そうにアドバイスできることは、何もない。

もし、ひとつだけ、アドバイスできることがあるとするなら、
今現在、社会とフィットできていないなら、
そのフィットしていない自分の特徴を、大切にした方がいいように思う。
世間なんて、たいした価値をもっていない。
自分に素直に、死ぬほどまっすぐに貫いている人には、必ず支援者が現れる。

逆に、自分をさらけ出さないままに、世間にフィットしているとしたら、
私は、その方が心配になるかもしれない。
| 日々の雑談 | - | -

デザイナーがなぜマーケティングをやるのか

本を出したり、講演したりという仕事が増えてきて、いったい何屋なの?
と思われてもしかたがないよなぁ、と私自身も思っています。
本の「おわりに」にも書きましたが、私自身の本業はやっぱりデザインなんですよね。
自分の感覚として。

ただ、今現在の1日の過ごし方としては、“デザイン作業”に割く時間は、
だいぶ少なくはなってきました。
独立間もない頃は、一日中PhotoshopやIllustratorを立ち上げていて、
画面の前から離れるのはトイレとお風呂くらい、という時もあったのですが。
食事はデザインしながらおにぎりかじる、とか。

今日は、朝から面接〜企画書作成〜打ち合わせで、
やっと自分のパソコンの前に落ち着いて座っています。
そういう中でも、やっぱり、私の本業はデザインなんです。
デザインでクライアント様からの信頼を得て、少しずつ仕事が増えてきて、
スタッフも増えて、大きな仕事も時折任せていただけるようになり、
今に至っています。

今は、すべてのページを私一人でデザインすることはほとんどありませんが、
方向性が決まるまでのアートディレクションは、もちろん自分がやりますし、
CIやSIという上流工程のコンセプトやビジュアル作成は佐野がやり、
あとは適宜弊社のデザイナーに振っていくという感じです。

デザインの仕事で、私がよくクライアントさんから言われた言葉があります。
「デザイナーさんにそんなこと聞かれるとは思ってなかった」
というようなお言葉です(今でも時折言われます)。

私ははじめてお会いした方にはいつも、経営理念とか、社名の由来とか、
なぜこの商品・サービスをつくったのか、なぜ売っているのか、
どこが他社と違うのか、そんな話ばかりを質問攻めにしています。
そうすると、クライアントさんは、上記のようなことを返してくるわけです。

なぜ、デザイナーからそういうことを質問されるとは思わないのか。
ウェブ制作の現場で、なぜそのような情報を準備しておかないのか。
おそらく、これまでの経験値から、
クライアントさんはデザイナーからそのような質問を受けたことがない、
ということなのだろうと思います。
私は、このような言葉をいただくたびに、
「ああ、デザイナーの社会的地位の低いこと・・・」
という嘆きにも近い感情を抱くのです。

デザインとは、成果を出すため、クライアントの課題を解決するためのツールです。
言葉にすると、恥ずかしいくらいにあたり前で、ありきたりになるのが残念ですが、
このことを徹底的に実践しているデザイナーが、
果たして日本の中でどのくらいいるのでしょうか?

デザイナーこそ、マーケティングを勉強するべきであるし、
経営者から信頼してもらえるだけの社会的経験とフトコロの深さが
求められていると思います。
もしそれが難しければ、少なくとも、
今目の前にある仕事・クライアントに興味を持つことです。
そして、デザインの対象となるものへの理解が浅いと感じるなら、
質問するべきです。
クライアントに質問できる環境がなければ、
担当しているディレクターに聞くべきです。

「青に塗れって言われたから青にしました、ここは赤って言われたから赤にしました」
というような単なる作業人になっちゃいけないな、と思います。
それならバイトでもできる。
クライアントやディレクターからの指示が間違っている場合、
その理由と明確な代替え案を出せるのがデザイナーだと思います。
デザイナーだけじゃないですね。コーダーもプログラマーも同じでしょう。

私は、マーケティングやコンサルティングにはじめから興味を持ったのではありません。
デザイナーとして、クライアントに喜ばれる仕事を追求していった結果、
クライアントの事業を深く理解しなければ、そこにはどうしても到達できないな、
ということがいくつもの苦い経験を通じて、身にしみただけなのです。
| 日々の雑談 | - | -

ルー・リード死去について想う

ジャケットの存在が、私のデザイン体験の走りであることを前回書きました。
そしたら、どういうタイミングか、ルー・リード死去のニュース。

ルー・リードとは、言わずもがな、
1960年代のロックバンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの中心人物である。

気怠いビートに、なんとも不思議なコード感。
アヴァンギャルドとか、サイケデリックとか、ガレージとか、
音楽でもデザインでも出現するキーワードは、
このヴェルヴェット・アンダーグラウンドから学んだことが大きい。

ジャケットの話に戻りますが、
ロックファンの間では、とても有名な「バナナ・アルバム」と呼ばれる
ヴェルヴェッツのデビュー・アルバムのデザインは、
かのアンディ・ウォーホルの作品であることも、また有名。

レコード・ジャケットで最も印象的な1枚を挙げるとしたら、
やはり、このアルバムを挙げる人は多いのではないか、と。


私にとっては、音楽やデザインやファッションという分野が、
アメリカやイギリスでは、総合的に作用してシーンを作っているということを、
知るきっかけとなったのも、このヴェルヴェッツからではなかったかと思う。


蛇足ではありますが、その後、
レニークラヴィッツのプロデュースで発表された
ヴァネッサ・パラディのデビュー・アルバムに、
ヴェルヴェッツのカヴァー「I'm Waiting For The Man」が収録されていて、
大学生の頃、これもすごく聴いていた。
アンニュイなヴァネッサ・パラディのボーカルが、すごくシャレてて、好きだったな。




素晴らしいものをたくさん残してくださってありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
| 日々の雑談 | - | -

ジャケットと装丁

中学生の頃から、毎月のお小遣いの大半をCDやレコードを購入することに費やしていた。
吹奏楽部に所属していたこともあって、
当時はクラシックやビッグバンド系のジャズ(ベニー・グッドマンとか、カウント・ベイシーとか)を
よく聴いていて、流行していたポップスなどにはあまり手を出さなかったのだけど、
高校時代にバンドを始めた頃からか、友人達の影響もあって、
ロックのCDを買い漁るようになっていった。

私たちの青春時代は、まだ洋楽コンプレックスのようなものが強くあって、
日本のバンドはダセー、やっぱ洋楽だよな
という、まあ、今思えば若気の至りの極みな感じではあるのだけど、
そういうことで、ファッションアイコンのひとつとしても、“洋楽のCD”をコレクションすることに勤しんだ。

私が「デザイン」というものをはじめて意識するようになったのは、この“洋楽のCD”との出会いが発端であるように思う。
なんかジャケットが奇妙だな、と思うとやっぱり奇妙な音楽だったり、
逆に(音楽の)内容が素晴らしいのに、なんでこんなデザインなんだろう、とか。
音楽とデザインが相互関係にあるということに気づいて、なんとなく面白いな、と感じていた。

***

ダウンロード全盛の時代になって、
いわゆる“ジャケ買い”なんていうのは、一部のレコードコレクターの
オタクな趣味、というものになっているのかもしれないけど、
やっぱり、音楽とジャケットデザインは、セットで楽しむの、
であって欲しいな、と私は思ったりします。

話はちょっと展開しますが、
書籍(本)の装丁というものは、いわゆるCDでいうところのジャケットだと思います。

しかしながら、最近気づいたことがあって、
ジャケットデザインは、音楽そのものを表現するアートワークという認識であるのに対し、
装丁の役割は、本を手にしてもらうための実用的機能が求められているような気がします。

もちろん、商業音楽ではジャケットも販促物のひとつ、という認識はあるのかもしれませんが、
私の中では、ジャケットという存在は、未だ昔と変わらないアート領域であるような気がしています。
どちらかというと、日本版のCDでは、
販促の役割はいわゆる「帯(CDケースの背中にカパッと挟まれているもの)」に
すべてを委託していて、ジャケットはギリギリでアート枠を確保しているようなイメージ。

ただ、面白い音楽は、もっと売る努力をしてもよいのではないか、
と私はずっと感じているので、
アートとして良い悪い、という議論は別としてですが、
CDをもっと売ろうとするなら、この辺りの役割を再考してもよいのでは、と思ったりもします。

本の装丁は、そのあたり、非常に優れている気がします。
デザインとしての佇まいと、販促としての機能の共存。
思わず買ってしまうもの。
オタクなブックコレクターでなくても。
| 日々の雑談 | - | -

車掌の本分

ブログやSNSなどが普及し、国民総発信者の時代、というようなことが言われています。
たしかに、私の周りでも、みなさん自分の日常や考えなどを、文章や写真で、
インターネット上に投稿したりしています。

そのことで、よくなったこともたくさんあるのでしょう。
たとえば、音楽などは、テレビやラジオで放送されている情報しか、
一般の人には届いてこなかったけど、
今は、ミュージシャンが自ら自分のサイトを立ち上げているし、
より純度の高い情報を、ダイレクトに届けられるようになりました。

ビジネスにおいても、中小企業は、大手の下請け仕事しか成立しなかった時代から、
自ら発信し、エンドユーザーから直接受注を受けられる可能性が高まりました。

かくいう私自身も、インターネットがなければ、
今のような仕事をして、今のような生活をすることはできなかったでしょう。
大きな恩恵にあずかっていることは、事実です。

小規模な存在でも、インターネットの利用方法を工夫することで、
なんか、「大きいことができそうな気がする」、という時代かもしれません。


そんな中、一方で、誰でも手軽に発信できることから、
競争が激しくなっていくこともあります。
TVのCMなんかで派手な広告を出すほどの予算のない中小企業は、
Webサイトで、検索エンジン対策やSNS対策を施し、自社商品をPRしたりします。
A社も、B社も、ネット上で自社商品を目立たせたいので、
結果的に、競争が激しくなり、より強い情報の発信へと邁進していきます。

個人のブログやfacebookやtwitterなんかも、
より多くのいいね!やフォロワーを獲得することに勤しみます。


小学生の頃か、中学生の頃か、忘れてしまったけど、
「車掌の本分」という話を、国語で教わったことがあります。
「お猿さんの運転手と車掌が、遊園地の電車を運行する」という設定の話です。

厳しいトレーニングを経て、お猿さんは見事に運転をマスターすることができ、
晴れて、遊園地で「お猿さんの運転する電車」がオープンしました。
評判が評判を呼び、お客さんはどんどん増えていきます。
そのため、一両、また一両と、車両を増やしていくことになり、
お猿の電車は、とてつもなく長い連結の車両になっていきました。

その結果、遊園地の周回をするのに、運転手の猿は、
車掌の猿の背中が見えるような格好となります。

そこで車掌の猿は、
「車掌というものは、最後尾から、お客さんの安全を確認するものだ」
「運転手が、自分の背中を見ながら運転するなど、あり得ない」
「車掌の本分に反するんだ!」
と言って憤慨するのです。

たしか、こんなストーリー。


SNSなどをやっていると、私は、なぜかふとこの話を思い出すことがあります。
個人が復興のこと、政治のこと、オリンピックのこと、
それぞれの意見を自由闊達に発言できることは、
もちろん、よいことでもあるでしょう。

ただ、私は、広告のデザインを仕事としていて、
時折、音楽をつくったりしています。
そのフィールドで、本分を尽くすことが、まずは、何よりも大切だと思っています。
| 日々の雑談 | - | -

SPRING STORM〜The Long Good-bye

誰しも、答えにつまる質問、というものがあると思いますが、
私の場合は、そのひとつに「本業はなんですか?」という質問があります。

直接的に生計を立てているもの、という意味であれば、
Webデザイナー、か、もしくは会社経営、ということになります。
しかしながら、何を持って自分が世の中とつながっているのか、
という広義の職業、という意味においては、
もうひとつ音楽というカテゴリも加えておきたいという気持ちがあります。

古くからの知人友人とは、私が音楽に没頭し翻弄されてきた(笑)時間を
共有していますし、実際に、音楽ばかりやっている人間だと今も思っている方も実はいたりします。

たとえば、過去にはこんな音楽作品を発表してきました。
http://tower.jp/item/2539767/g6hk6s
http://tower.jp/article/news/2006/02/02/100006609
http://www.amazon.co.jp/疾風の行方-カーブ/dp/B0000DJWUA

私の音楽を気に入ってくださったある方から、
一昨年に、演劇の音楽をやってみないか、
というお声がけをいただきました。

テネシー・ウイリアムズという劇作家の作品にスポットを当て、
小さなユニット形式で、作品に触れる活動をしている
その名も「Tennessee Express」という団体です。

自分の音楽を自分のバンドで演奏することばかりをやってきた私にとって、
劇伴の音楽を創造し、役者の演技に合わせて演奏することは、とても難しいことでした。
しかしながら、そこでの体験は、これまでにない感覚と感動に包まれるものでした。

一昨年に参加させていただいた作品は、
「The Long Good-bye」という戯曲で、私自身はその世界観と、
役者たちの呼吸を大切に、音楽は「役者に花を添えるつもりで」、を
自分のテーマと課して参加させていただいたことを、
今も昨日のように覚えています。

あのときのあの感覚は、きっと瞬発力的なものもあっと思いますが、
その中で、少しばかり、自分の音楽が誰かの役に立つのではないか、
という新しい可能性を感じたりもしていました。

とはいえ、音楽はあくまでも添え物、と考えての参加でしたので、
私自身は、「Tennessee Express」での活動は
あの1回のみのつもりだったのですが、
「Tennessee Express」自体の活動は、もちろん継続されていて、
先週の土曜、2作品目の「SPRING STORM」の実験上演が行われました。

そこで、主宰の阿部さんから再度お声がけをいただき、
何の準備もないままに、ギターで即興参加をさせていただくことに・・・。

私自身の音楽活動は、近年、本当にゆるゆるとした状態で、
なかなかきちんとしたアウトプットができないままに、数年を経過している中、
このようなお誘いをいただけたことに、嬉しさがこみ上げました。


「SPRING STORM」の実験上演が終わり、
参加者のみなさんの素敵さにまたまた感動していました。
そのまま打ち上げでもすっかり楽しませていただき、
その打ち上げの盛り上がりの中、なんと、一昨年の「The Long Good-bye」を
やってみようよ、という展開に。
私も、僭越ながら、ギターを弾かせて頂きました。




お酒が進んだ中で、演劇をやってしまうというみなさんのハイレベルな“遊び方”に、
ああ、この方たちと一緒に過ごせる時間のなんと贅沢なことか、と思っていました。

こういう出会いは、求めていないと訪れません。
私の音楽も、こんな出会いにつながっているのだから、
やめたりしちゃいけないな、と、改めて思ったりする今日このごろです。

Tennessee Expressのブログでも、この日のことが紹介されています

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営業という意識のない営業

春ももう終わり、梅雨に入ったとのことで、あっという間に夏が来そうです。
冬って本当に寒かったのかな?と、この時期あたりから毎年そう思います。
適応力というのか、忘却というのか、微妙なところです。

さて、終わりかけの春ではありますが、
春には、弊社にも飛び込み営業の方が、特に多くいらっしゃいます。
営業品目的には、コピー機のリース、コーヒーや水などの飲料系が特に多いです。

申し訳ないことに、弊社では、欲しいものは自分で探し、自分で決めるようにしてますので、
飛び込み営業によってその場で購入、とはなかなかなりません。
基本的には、門前払い、ということになります。営業の方、すみません。

しかしながら、現在、飛び込み営業によって、
契約するかもしれないものがあります。
エントランスなどに置いている交換マットの業者です。
普段は、“門前払い”としてしまう飛び込み営業ですが、
弊社のスタッフが、「社長、ちょっとこれは検討してもよさそうですよ」と
交換マットのカタログと、営業の方から受けた説明を私にしてきました。

その話を聞き、
「なるほど、それはよさそうだね、
じゃあ、その件は、任せるよ」
と私は言いました。めったにないことです。

私はスタッフから、間接的に話を聞いただけですので、
実際に、その営業の方が、どのような説明でどのように話してきたのかは、わかりません。
ただ、普段は問答無用で“門前払い”としている飛び込み営業を、
「とりあえず聞いてみよう」というレベルへ持ってきただけの力が、
その方にはあるのだと思いました。

人に話を聞いてもらうということは、とても難しいことです。
営業でなくても、プライベートな友達付き合いの中でも、
自分の話ばかりしている人って、正直ウザイですし、
そもそも興味ない話を聞かされることは、大抵の場合、苦痛です。


話は突然さかのぼりますが、
高校生の頃、私は吹奏楽部に所属していて、
毎年6月に最も大きな行事、「定期演奏会」というものがありました。
高校生の演奏会とはいえ、音楽専用のホールで本格的に開催するものでしたので、
部費だけでは会場費や運営費が賄えず、演奏会パンフレットの表3や4に、
広告スペースを設け、スポンサー集めに奔走した想い出があります。

高校生が開催する演奏会ということで、来場者の属性(笑)は
近隣の高校生、これから進学を予定している中学生、それらの保護者
が中心でした。
また6月開催というタイミングを考慮して、
「夏期講習」の受講生を募集している学習塾や予備校へ、広告営業をしたのです。

今思えば、高校生が一生懸命やっているのだから、という親心的なものも
多少なりともあったと思いますが、思う以上に成約できたことに、
私は「なかなかおもしろいな」と感じた覚えがあります。

当時は、ただ単に、自分たちの演奏会を成功させたいだけの一心で、
“広告営業”なんていう言葉も知らないままに、
「今度、演奏会をやります。中高生がたくさん見に来ます。広告をお願いします。」
ということを、そのまま伝えていたのだと思います。


演奏会を成功させたい高校生と、夏期講習の受講生を集めたい予備校。
図らずとも、WIN-WINの関係です。


私は営業のプロではありませんが、
お互いに価値を分かち合える出会いこそ、ビジネスであろうと思うのです。

仕事を「お仕事」と思ってやるのは、私にはちょっとさみしいことです。
「面白いことになりそうだな」というワクワクした気持ちを持って、
自分だけじゃなく、関わる人すべてがハッピーになるような、
「ライフワーク」でありたいと思っています。
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さとり世代が、さとっているとは思わない

うちのオフィスでは、いつもラジオ(FM東京)を流しているのですが、
時折面白いな、と思う番組に出会います。
ひとつは、伝説の人事部長、という番組。
様々な背景を抱えている就活生や、転職希望者などの相談に
“伝説の人事部長”が答えていく、という切り口です。

私自身も、かれこれ会社を立ちあげてから、6年経ちます。
その間に、採用する側として、たくさんの人と会ってきました。

テレビやラジオでは、近頃の若者に「さとり世代」というネーミングをしているようです。
はじめから高くを望まず、無駄な挑戦を避け、堅実に等身大に生きようとすることが、
さとり世代の特徴とのことです。

私も今では採用する側ですので、なるほどな、と思わないわけでもないです。
ただ、自分が20代の頃は、どうだったのか、と考えてみると、
今よりも自信はなかったし、世の中の景気も今とあまり変わらず、
就職氷河期と言われた初めの世代で、あまり大きな希望は抱きにくかった気もします。
周りの同世代も、「世界一になってやる!」なんて意気込んでいる人も多くはいなかったような気がします。
要は自分たち世代とさとり世代、あまり変わらないのではないかな、という気がするのも正直なところ。


しかし、実際に多くの若者と面接をしてみると、
みんな、仕事に対してやりがいを求めている。
そういう仕事と出会いたい、と思っているのを感じます。
自分が自分として、社会から認識されるのを渇望していることが、伝わってきます。

ただ、みんな経験がない。
自分が自分として、何かを成した手応えとか、
心の奥から感動したこととか、そういう経験がないだけなんじゃないか、と思います。

多少の語弊はあるかもしれませんが、
私自身は、人生に対しての本当の手応え、心底の感動、というものは、
やはり仕事でしか得られないもののひとつであると思います。
誰しもが、自分を必要として欲しいし、誰かの役に立ちたいという本能みたいなものが、
あるのではないか、と思います。


はじめから「世界一になりたい」というのは、
単なる妄想であり、意欲の高さとは違う気もします。

それよりも、今は自信がないけど、目の前のことに丁寧に取り組み、
少しずつ認められることで、やりがいにつながっていき、
次のステップへの欲を手にしていくことが、成長というものではないか、と思います。

私自身も、20代の頃はきちんとした目標を、誰かに説明できるような人間ではなかったです。
自分の正しいと思える仕事を、少しずつ積み重ねていった結果、
逆に30代に入ってから、目標や仕事に対する欲みたいなものが、大きくなってきたようにも思います。
そう、まだまだこれからなんです!


街を歩くと、まさに就活中であろう学生をよく目にします。
私がもし、就活生に贈る言葉があるとすれば、
「仕事って面白いもの。真剣にやればやるほど欲が出てくるよ。」
ということかな、と。

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